なにしろ公的年金は総額三〇兆円、これを受けている市民は、のべ約三〇〇〇万人、年金加入者数は七〇〇〇万人(一九九三年)にもおよぶのだから。
 たしかに年金財政には危機的な要素もあるが、それは戦後に「なしくずし」的に、まがりなりにも社会保障制度をつぎはぎ的に作ってきたツケが、いま回ってきているためであって、制度全体を見渡した総合的な再編成の時期にきているということである。
 たとえば、仮に社会連帯の仕組である年金制度のないころにもどって、私たちの親世代のように(子どもが四〜五人いるのがふつうだった)、老親を子どもたちが自分のお金をだしあって、私的に扶養する時代にもどれるものだろうか。
そうでなくとも少子化により、夫婦で子どもが二人以下になっていて、親のほうもこれだけ長生きする時代になっているのに。
できるはずがないのだ。
当然その先には、自分たち自身の老後の生活保障の問題もある。
 あるいは子どものいない世帯の人が、自分たちには直接の見返りがないという理由で、保育所や学童保育に税金を投入するのに異論をとなえることがある。
しかしそういう方々も、老後はよその世帯が育ててくれた子どもたちが、年金財源を分担して支払ってくれることによって、生活が守られるということを考えてほしい。
バブル経済破綻後の超低金利を経験すれば、誰でも自己貯蓄による生活設計がいかにはかないものかがおわかりであろう。
 幅広い市民福祉の時代である。
社会保障には「得も損もない」ということ、誰にもふりかかる可能性のある生活リスクを、皆で連帯して解決する仕組だという原則を確認すべきだ。
「損得論」だけで議論すると、結局は展望のない不毛な対立に帰着し、不満だけがのこって皆が生活不安におびえる結果になる。
要するに皆が損をする。
 社会保障制度の発達した北欧諸国の高齢者福祉政策の歴史をみると、ほぼ共通した発展法則が認められる。
 高齢者問題に政策が関与する第一段階は、一種の「公害」のように対処するやり方である。
高齢者をできるだけ安い費用で、目立たないところへ捨てようとする。
つまり言葉は非常に悪いのだが、いわば「粗大ゴミ政策」である。
 やがて経済水準が向上するとともに、このような非人道的な扱いには、当然非難が高まり、社会問題化する。
そこで過去への反省から、第二段階として出てくるのが、細かいところまで世話をする「お世話主義」である。
しかしこのやり方も、高齢者の自発性や能力をかえって損なったり、自立生活にもっとも必要なプライドまで奪うことがあるという欠点がわかってくる。
 こうして登場するのが、第三段階の、高齢者を新しい社会資源として位置づける政策である。
つまり高齢者をひたすら依存的な存在、ただただ助けられる世代ときめつけるのではなく、高齢者自身を社会福祉や新しい価値観の創造のための資源として活用したり、あるいは高齢者の生活ぶりから住みよい町づくりを学んでゆこうとする新しい考え方である。
 もちろんこれはアメリカや日本などでよく強調される、安易な「自助努力」論ではない。
第一、第二段階の発展段階を経て、高齢者福祉への十分な社会資本の投下がなされたあとに、はじめて登場し得るものである。
 ここでは、あらためて年長者の社会的役割がでてくる。
単純な進歩思想に身をゆだねることができなくなったときに、ものごとの価値の重み付けをしたり、若者の挑戦を助ける役割が比較的小さな社会集団内で、しょっちゅう必要となってくる。
 体制の変革によってすべての矛盾が解決されるという幻想は、もはや誰ももてなくなった。
そうなると世の中は、合理的でわかりやすい論理と説得力で多数派形成をして、少しずつよい方向に改革してゆくしかない。
となれば、社会生活にはつきものの利害関係の調整機能が、より重要な役割を持つ。
これらは生活体験豊富な年長者の、もっとも得意とするところだ。
 また若さとか青春時代の大切さをいちばん理解できるのは、じつは年長者である。
アニメ作家のMさんが発信する、若さへのみずみずしい感性は、年長者ならではのものだ。
そのただなかにいる若者には、若さの意味はかえってわからない。
自分自身をどう方向づけるかで精一杯なのだから。
「青春時代の真ん中は、胸に刺さすことばかり」、「上を向いてあるこう。
涙がこぼれないように」と。
 H大震災の直後の話だ。
薬の卸屋さんという職業がある。
薬品を診療所や病院の注文に応じて、製薬会社から仲買いして届ける仕事で、医療界の流通業者である。
一九九五年の震災でも怪我をしたり病気が悪化した方々が多数出たし、薬品倉庫が壊れて使えなくなったりしたから、薬品を悪路をおかして医療施設へ緊急配達するのに苦心惨愉だったそうだ。
何しろ大量の注文が一度に出たために、阪神間の業者の在庫だけでは開に合わず、各地の同業者に応援依頼が飛んだ。
 私の知人で九州の卸屋さんから、その最中に電話があった。
彼のところにも協力要請があり、社員のボランティア部隊をK市に何人も派遣したという。
 そしてこう質問してきた。
「先生、いちばん注文の多かったのはどんな薬品だと思いますか?」と。
「さあ、けがをした人がたくさんいたから、やっぱり化膿の治療や予防のための抗生物質かな」と私。
「そう思うでしょう。
ところが違うんです。
心臓病や高血圧なんかの循環器系の慢性疾患用の薬なんですよ。
いやあ高齢社会なんだなと、社員一同あらためて実感じましたよ」と彼は答えた。
 戦後の一時期猛威をふるった結核や肺炎、赤痢などの感染症がほぼ制圧されたあと、日本の疾病構造は、いわゆる成人病、慢性疾患中心になった。
高齢化が進むと、ますますこういう病気を患い、常時、医薬品を必要とする人びとが飛躍的に増える。
そして震災での応急手当ての済んだあと、高齢者で慢性の病気があったり障害のある多数の人びとが、避難所のひどい環境のなかや倒壊しかけた家に放置され、治療も受けられず日々に衰弱した。
なかには死に至る方が出た。
 平時において、ギリギリの生存条件で生活している人びとがいかに多いか、そして介護施設や在宅ケアのための社会福祉サービスが、いかに不足していたかが、市民の前にはっきりと見えるようになった。
 社会の疾病構造の変化のもとで、どのような人びとがもっとも弱い存在であるか、どのような社会サービスが日頃から不十分であるかを、この災害が、はしなくもはっきりと暴き出したことになる。
大きな災害が起こると、医療や福祉の援助で何とか生活していた人びとが、たちまち最悪の危機に瀕する。
医療や社会福祉制度が日頃から不十分であったり、ギリギリのレベルの援助しか提供されていないと、こういうときに社会サービスの助けがないと生存をおびやかされる市民に、もっともしわよせがくる。
 一九世紀の有名な医学者が「病気が人体を解剖する」という名言を残した。
病気で亡くなった人を解剖すると、たとえば内分泌−ホルモン系の病気にかかった人だと、そのホルモンが作用している臓器や器官が系統的に冒されるから、ふつうは見えないようなホルモンの作用がはっきりと肉眼的に浮かびあかってくるのである。
災害が日頃は見えない社会の弱点を浮かびあがらせる。
先の名言にならえば、「災害が社会を解剖する」のである。

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